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法蓮寺の歴史

時宗 河口山 宝池院 法蓮寺は鎌倉時代、嘉元2年(1304年)遊行二祖他阿真教上人(たあしんきょうしょうにん)によって開山されたお寺です。
真教上人の頃より修行場として念仏道場が造られ、法蓮寺も河口道場と呼ばれ付近の地名にも道場として残っています。
中世の法蓮寺は地元の豪族である川口氏の庇護のもとにあったと本尊阿弥陀如来の体内銘に記されています。
戦国時代には甲斐の武田氏の保護を受けていました。
武田氏滅亡の折には、松姫と共に逃れてきた仁科五郎信盛の娘、小督姫が身を寄せ、遊行上人の導きで出家し、玉田尼として生きていかれました。
江戸時代には徳川幕府より10石を拝領しました。
それ以後、法蓮寺は歴代の遊行上人が、しばしば滞在されました。
その際は、近隣や宗派を越えた寺院からも多くの人々が集まり、『桑都日記』には文政7年(1824年)の五日間の遊行上人の滞在で数万人に賦算(南無阿弥陀仏と書かれたお札を配る事)したと記されています。
明治時代になると、新政府と旧幕府軍との間で戦いがあり、
八王子千人隊は新政府に恭順しますが、一部に反政府の人たちもおり八王子方と呼ばれたようです。
新政府と反政府との戦いで川口村出身の原子剛は戦死、楠正重は帰郷し道場を開き、近隣の若者に剣の指導をしていたようです。
明治25年、勝海舟の題字により原子剛の碑が、大正6年には天然理心流を継いだ小谷田洞水らにより楠正重の碑が建てられました。
現在も地元の方々を中心に、多くの方々に支えられています。
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